2021年2月12日金曜日

『倫敦塔』夏目漱石


およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体は目に見えぬ縄で縛れて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。


何の理窟も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋れたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に控ておった。

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